07/28

  • 今日は業者さんと打ち合わせはあったものの昨日ほど来訪者も多くはなかったので比較的穏やかだった。お隣のおばさんが朝イチで参られたときに「〜ちゃん、〜ちゃんてよう言われとったがに、寂しくなるねぇ」と言われてまた少しウッとなったが泣きはしなくてよかった。あんまりパパっ子やらママっ子やらお婆ちゃん子やらの呼び方されるほどの偏りはないが保育園とか習い事はほぼおばあちゃんが送り迎えしてくれていたなぁと思い出した。内孫唯一の女児だし末の孫だしまぁそりゃあ甘やかしてはいたんだろう。じいちゃんとばあちゃんとお出かけしたときに車酔いして近所の親戚の家で一旦休ませてもらったりしてたよ〜というエピソードが出たりした。じいちゃんがいた頃というと自分が2,3才だから一緒にお出かけしてたなぁというぼんやりした記憶だけがある。じいちゃんばあちゃんと動物園に行った際に片足立ちのフラミンゴを見てぽんぽん痛いの?と聞いたという私がカワイイエピソードは結構よく語られていたのでそれはばあちゃん的には思い出深かったんだろう。私は小学生の頃の夏休みに暇すぎるのでばあちゃんの畑仕事付いて行ってろくに手伝いもせずオロナミンCをおいしく飲んでたのがわりと思い出だ。あと小さい頃畑仕事についていかず一人で留守番になったけどばあちゃんいないのが寂しくて大声で呼んだりしたなとか。大学生になって上京し、長期休みだけ帰省になって、久しぶりに帰ったら膝の手術をして逆にどんどん歩けなくなっていっていたのに驚いたりしていた、あれはわりと悲しかった、病気で入院したりはたびたびあったもののその割には元気に見えていたから。身体が思うように動かなくなって、疎ましく扱われて、家に居場所があるのかないのか、私は家を出ていてたまに帰るくらいだけれど、そういうのに加担していないとは言えないと思う。後悔は先には立たない。どう思っていたんだろう、話すことがないから部屋に車椅子を送ったあとすぐに戻っていたけど、話すことはなくても部屋に少しいるだけでも良かったのかもしれない。いろいろ考えると申し訳なくてつらいな。ばあちゃんに遺恨があったのは保護した雀の餌やりの件だけだけど、私の記憶違いかどうかはついぞわからないままになってしまった。あとお寺さんが読経に来られて読み上げているお経、ばあちゃんが仏壇に向かってあげていたものと同じだったけどばあちゃんの読経のメロディーラインはなかなか独特だったな、など思ったりした。
  • 本日も蝋燭番、の番して寝る。おやすみ。明日は会場…?で宿泊なので日記は休む、たぶん。